大判例

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東京高等裁判所 平成6年(う)257号 判決

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役一年に処する。

この裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予する。

訴訟費用中、原審証人A、同G、同L、同C、同O、同P、同M、同N、同R、同Zに各支給した分及び原審証人K、同Tに各支給した分の二分の一を被告人の負担とする。

理由

第一  本件控訴の趣意は、東京高等検察庁検察官検事後藤雅晴が提出した控訴趣意書に、これに対する答弁は、弁護人石山治義、同丸島俊助、同江口正夫が連名で提出した控訴趣意に対する答弁書に、それぞれ記載されているとおりであるから、これらを引用する。

所論は、要するに、被告人が、Aらと共謀の上、労働事務次官であるCに対して株式会社リクルートコスモスの株式三〇〇〇株を賄賂として供与したことが明らかであるのに、被告人を無罪にした原判決は、証拠の評価及び取捨選択を誤って事実を誤認した、というのである。

第二  そこで、原審記録を調査し、当審における事実取調べの結果をも併せ検討する。

一  被告人に対する本件公訴事実の要旨

被告人は、株式会社コスモスライフの代表取締役をしていたものであるが、就職情報誌の製作、販売等の事業を営む株式会社リクルートの代表取締役をしていたA及び同社の社長室次長兼秘書課長をしていたBと共謀の上、昭和六一年九月三〇日ころ、東京都千代田区霞が関一丁目二番二号労働省の労働事務次官室等において、昭和五八年七年八日から昭和六〇年六月二五日までの間、同省職業安定局長として、雇用に関する政策の企画、職業の紹介及び指導、その他労務需給の調整、労働者の募集、職業安定法の施行等に関する同局の事務全般を統括する職務に従事し、その後、同月二六日から昭和六一年六月一五日までの間、同省労政局長であり、更に同月一六日から昭和六二年九月二九日までの間、労働事務次官として、労働大臣を助け、省務を整理し、同省各部局等の事務を監督する等の職務に従事していたCに対し、リクルート等が、労働省職業安定局長であるCから就職情報誌の発行等に対する職業安定法による法規制の問題及び行政指導等につき種々便宜な取り計らいを受けたことの謝礼、並びに労働事務次官であるCから右就職情報誌の発行等に対する法規制の問題等に関し、右同様の取り計らいを受けたい趣旨のもとに、昭和六一年一〇月三〇日に社団法人日本証券業協会に店頭売買有価証券として店頭登録されることが予想されており、右登録後確実に値上がりすることが見込まれ、Aらと特別の関係にある者以外の一般人が入手することが極めて困難である株式会社リクルートコスモスの株式を、右登録後に見込まれる価格より明らかに低い一株当たり三〇〇〇円で三〇〇〇株譲渡して取得させ、もってCの前記職務に関して賄賂を供与したものである。

二  本件の背景

関係証拠によれば、本件の背景となる事実関係は、概ね原判決が認定したとおりと認められるが、そのあらましは、以下のとおりである。

1  株式会社リクルート(リクルートという。)とその関連会社の業務

リクルートは、Aが、昭和三五年一〇月に、広告取扱業等を目的として設立した会社(当時の商号は、株式会社大学広告、昭和三八年四月に株式会社日本リクルートメントセンター、昭和四三年八月に株式会社日本リクルートセンター、昭和五九年四月に現商号に変更)であり、同人が設立以来昭和六三年一月まで代表取締役社長をしてきたが、その主要な事業である大学等卒業予定者向けの求人広告等を掲載する職業情報誌の発行等で急成長し、昭和六一年七月現在の資本金は一四億円であった。また、Aは、リクルートの関連会社として、株式会社リクルート情報出版(設立時の商号は、株式会社就職情報センター、昭和五九年四月に現商号に変更)、株式会社リクルートフロムエー、不動産売買、賃貸等を目的とする株式会社リクルートコスモス(リクルートコスモスという。発足時の商号は、環境開発株式会社、昭和六〇年三月に現商号に変更)、主として、リクルートコスモスが分譲、賃貸するマンションの保守管理等を目的とする株式会社コスモスライフ(コスモスライフという。設立時の商号は、日環サービス、昭和六〇年一〇月に現商号に変更)、不動産、有価証券等を担保に金銭貸付等を目的とするファーストファイナンス株式会社(ファーストファイナンスという。)等を次々に設立し、これらの代表取締役として、あるいはリクルートを中心とする関連会社(リクルートグループと総称する。)のオーナー株主として、リクルートグループの業務全般を統括していた。

2  被告人とリクルートグループとの関係

被告人は、昭和三八年にリクルート(当時、株式会社日本リクルートメントセンター)の大阪営業所に採用され勤務するうち、昭和四七年一二月東京本社の事業部長に登用され、昭和五六年四月総務部長兼広報室長兼社長室長、昭和五八年四月ビル事業部長兼総務部長兼広報室長兼社長室長を経て、昭和六〇年七月に広報室長、社長室長を解かれて、ビル事業部長兼事業部長兼審査室長となり、同年八月、リクルート事業部担当の取締役に選任され、昭和六一年八月六日取締役を退任するまでの間、主として、同社の事業部門、総務・秘書部門を担当してきたが、同年九月ないし一〇月当時は、リクルートの関連会社である前記コスモスライフの代表取締役をしており、昭和六二年四月コスモスライフ代表取締役を退任するまで、リクルート創業初期から在籍する数少ない社員の一人として、リクルートグループの急速な拡大発展とともに、歩んできた者である。

3  リクルートとCら労働省幹部との関係

就職情報誌業界の急成長に伴い、労働省管下の公共職業安定所の機能・役割が相対的に低下したことに加え、就職情報誌掲載の広告の中には、労働条件等について誇大ないし虚偽広告がある旨の苦情が多く寄せられる事態が起こったため、労働省としては、適切な対応の必要に迫られることになった。

このような事情の下、Cは、昭和五八年七月、労働省職業安定局長に就任し、労働者の募集に関する所掌事務の一環として、就職情報誌発行会社に対する行政指導等を行うことになり、懸案の労働者派遣事業等を制度化するため職業安定法の改正を企図したのに併せて、就職情報誌の発行に関する法規制の検討を含め職業安定法全体の見直しを図ることとし、局内の作業に着手した。

他方、Aは、労働省が就職情報誌の発行に関する法規制を検討していることを察知して強い危機感を抱き、法規制阻止のため、労働省幹部に対し饗応接待を含む種々の手段、方法で頻繁に接触して、その動向につき情報収集を行い、法規制反対を働きかけるとともに、就職情報誌業界の自主的な広告の規制を行う方向で問題の解決を図ることとし、昭和五九年一月、その働きかけのためプロジェクトチームを組織した。被告人は、総務部長兼広報室長として、リクルートの役員らとともに、労働省幹部との接触の機会を多くして情報を収集するとともに、法規制を控え、業界の自主規制に俟つように陳情するなどの活動を行った。

同年二月ころ、労働組合の全国組織が、リクルート等の発行する就職情報誌掲載の求人広告に虚偽広告等が増大しているとして苦情処理を始め、同年三月ころには、就職情報誌の指導強化を求める要請を労働大臣に行い、また、同年四月には、衆議院社会労働委員会でも右虚偽広告問題が取り上げられ、同年七月には、参議院社会労働委員会でも、雇用保険法改正に対する付帯決議の中に、就職情報誌等に対する指導強化が謳われたため、Aをはじめリクルート幹部は、ますます危機感を募らせていた。

この間、Cは、同年三月ころ、リクルートの役員らからゴルフの接待を受けた際、右法規制について、労働省はまだ検討中である旨説明し、同年五月ころ、リクルートの役員らとパレスホテルで会見した際、国会の前記付帯決議について説明するとともに、就職情報誌業界の自主規制を期待していると言明し、同年七月ころ、リクルートの役員らからゴルフの接待を受けた際、法規制についての労働省の検討状況につき、まだ検討中の段階である旨教示し、同年八月ころ、都内の料亭で、リクルートのA社長と学生援護会の井上社長との会談の機会をつくり、右両名に対し、両社が協調して業界全体をまとめ、自主規制を行うよう説き、その晩は、Aとリクルート本社ビル地下のクラブで懇談した。

そして、同年九月ころ、Aは、Cの海外出張の餞別として現金一〇〇万円を被告人に届けさせた(Cは、これを約二か月後に返却した。)。そのころ、労働省内部でも、業界の自主規制ができるのであれば、法規制を見送ってもよいとする意向が強まり、同年一〇月初めころ、職業安定局では、職業安定法改正案には就職情報誌の法規制は盛り込まず、業界の自主規制に委ねる方針が決定された。

法規制の回避を目論むAらリクルートの幹部は、Cを、同月一三日ころ、湘南葉山町の沖釣りに接待をしたのに続いて、同月二〇日ころ、岩手県の龍ケ森レックでのゴルフ一泊旅行に接待し、Cから、業界全体の自主規制が行われれば法規制は見送る旨の回答を得たが、なお、法規制を確実に見送ってもらいたい思惑のもとに、同年一一月九日ころ銚子市の沖釣りの一泊旅行で接待した。ところが、同月中旬ころ、労働省が就職情報誌を潰すための法規制を検討している旨の記事が週刊誌に掲載されたことから、Cは、よく出入りしていた被告人を介してAに、労働省は就職情報誌の発行に関する法規制をする考えのない旨を伝えた。

Aらリクルート幹部は、同年一二月二〇日ころ、都内の料理店に、Cや労働省幹部を招いて飲食接待したが、法規制問題が再燃することも考慮して、引き続き労働省の意向を伝えてもらうとともに、好意的な取り計らいを得たいとの思惑のもとに、昭和六〇年以降も、Cに対し、饗応接待を続け(Cは、同年六月、労政局長に就いた。)、昭和六一年六月、同人が労働事務次官に栄進した際には、高級料亭で饗応接待するなどしていた。

このように、被告人は、昭和四七年末に事業部に配置されて以来、就職情報誌の業務を担当し、新規卒業者の求人募集に関するいわゆる就職協定との絡みで、就職情報誌の配本時期等について労働省幹部と折衝し、その行政指導を受ける必要から、また、昭和五六年四月、リクルートの秘書部門を総括担当するようになってからは、同省の労働者募集事業に関する施策方針等情報収集の必要、就職情報誌発行について行政指導を受けるに当たり種々折衝の必要などから、労働省に度々出入りして、Cを含む同省幹部と接触する機会が多く、昭和五八年七月、Cが職業安定局長に就任以来、労政局長当時まで、同人に関するゴルフ、魚釣り、酒食の饗応等の接待には、ほとんど被告人も関わり、接待の席に出ていた。

4  リクルートコスモスの株式の公開

Aは、リクルートコスモスの株式(コスモス株という。)の上場を目論み、昭和五九年ころから、東京証券取引所第二部に上場する準備に取りかかり、審査基準に近づけるため、株主数の増加を図って、昭和六〇年、二回にわたり第三者割当増資を実施し、金融機関、取引先等に増資新株を引き受けてもらったが、その後、第二部上場を断念し、社団法人日本証券業協会の店頭登録に目標を切り替えて着々準備作業を続け、その登録時期を昭和六一年一〇月下旬に予定し、A所有の株式のうちから二八〇万株を分売して店頭公開することとし、同年一〇月一三日、リクルートコスモスの取締役会で、最低分売価格四〇六〇円、最高分売価格五二七〇円とすることに決定し、所定の手続を経て、同月一五日、右日本証券業協会からコスモス株の店頭登録が承認された。

当時、リクルートコスモスの業績は良好であったうえ、株式市況も好況を呈しており、そのころ既存株式の分売により店頭公開された他企業の株式の初値は、いずれも最高分売価格につき、その後の株価も、少なくとも数か月間初値を上回ったことから、コスモス株の店頭公開後の株価が五〇〇〇円を上回ることは、大方の確実視するところであり、実際にも、その初値は、最高分売価格と同値に決まり、同月三一日に開始された一般取引の店頭株価は、翌年秋まで、終始初値を上回って推移し、予測されたとおりに展開した。

5  店頭公開に先立つコスモス株の譲渡

Aは、前記のとおりコスモス株の店頭公開時の株価が五〇〇〇円以上につくことが確実視されていたので、右公開に先立ち、リクルートグループの業務に関して世話になった者、今後世話になることもあるべき者などを選定し、謝礼と今後の好誼、あるいは好意的取り計らいを願う意味を込めて、コスモス株を割安の価格で譲渡することにし、前記第三者割当増資の引受先のうち、ビッグウェイ株式会社(ビッグウェイという。)、株式会社ドゥ・ベスト(ドゥ・ベストという。)など五社からコスモス株を一株あたり三〇〇〇円で買い戻した上、店頭登録を間近に控えた同年九月後半から一〇月上旬にかけて、買い戻した株式のうち約四〇万株を社外の者約六〇名に、いずれも一株当たり三〇〇〇円で分譲したが、右譲渡にあたり、右ドゥ・ベストなどから右譲受人らがそれぞれ個別に直接買い受けた形式をとった。譲渡先の選定は、主としてAが行ったほか、Aの意向により、若干の側近幹部が任されて行ったものもある。また、Aは、譲渡に当たり、リクルート傘下の金融会社ファーストファイナンスに指示して、譲受人の資金調達の便宜のため、その融資を受けられるように配慮した。

三  Cに対するリクルートコスモス株式の譲渡

1  店頭登録に先立って行われた、部外者に対する前記一連のコスモス株の譲渡の一環として、当時、リクルート社長室次長であったBが、労働省事務次官室にCを訪問し、コスモス株三〇〇〇株(ドゥ・ベストから買い戻した株のうちの一〇〇〇株とビッグウェイから買い戻した株のうちの二〇〇〇株)を一株当たり三〇〇〇円、代金合計九〇〇万円で売り渡す旨の売買約定書に同人の署名と押印を得て、同人に右株式を譲渡し、Cは、店頭登録後間もない昭和六一年一一月五日、本件コスモス株三〇〇〇株全部を、証券会社の店頭で一株五四二〇円で売却し(一株当たりの差益二四二〇円)、同月一〇日、売却手数料を差し引いた代金がCの銀行預金口座に振込入金され、直ちにファーストファイナンスに借入金の元利金を返済したことは、争いなく証拠上認められる事実である。

2  原判決は、前記の本件公訴事実につき、Cに対する本件株式譲渡は、Aが行ったもので、Cを譲渡先に選んだのは、「Cが、昭和五八年一二月から翌五九年一一月にかけて労働省職業安定局業務指導課内において、労働者派遣事業法制定に伴う労働基準法の改正に際し、その一環として就職情報誌発行業者に対する適正広告提供義務を定めた倫理規定等の創設を内容とする法規制の要否が検討された際、当時職業安定局長として、第一義的には法律による規制ではなく業界内部の自主規制によることが相当であるとの考えに基づき、自主規制を望んでいたリクルート関係者らに種々そのための助言等をしてくれたことに感謝の念を抱いたことや、本件株式譲渡当時、労働事務次官であったCに、右法規制問題が再燃した場合等に世話になることを期待したためである」と判示し、その譲渡行為の実際については、「Aの意を受けた第三者がCのもとを訪れ、株価は公開後確実に値上がりするし、もし資金に余裕がなければ購入代金はファーストファイナンスから融資を受けられるように手配するなどと言って、コスモス株三〇〇〇株を一株当たり三〇〇〇円の価格で購入することを勧誘し、その承諾を得た上、その後間もなくAから指示を受けたBが労働事務次官室のCのもとに赴き、コスモス株三〇〇〇株(ビッグウェイからの二〇〇〇株とドゥ・ベストからの一〇〇〇株の合計)の売買契約書、ファーストファイナンスからの購入代金消費貸借契約書を作成する等して本件株式譲渡の手続を行った」旨判示して、本件株式譲渡の行為が、Aを首謀者とし、その意を受けた第三者某及びBがこれに協力して、労働事務次官Cに対し行った、その職務に関する賄賂の供与である事実を認定した。

関係証拠に徴し、原判決の右認定は、その限りにおいて相当であって、肯認することができる。

Aは、原審において、社外の者にコスモス株を譲渡するについて、自分が譲渡先を選定したのは昭和六一年八月下旬から九月にかけて数回と記憶する、人選の機会は、Eら当時のリクルートコスモスの幹部役員三名とリクルートの社長室長であったDにも与えた、Cに対する本件株式譲渡は、自分の選定、指示で行ったものではなく、後に報告をうけたこともない、おそらくDあたりが独自の判断で行ったのではないかと思う旨証言し、当審においても同旨の証言をしており、また、Cも、原審において、本件株式の譲受に際してAの名前は出なかったし、Aからの申入れとは思わなかった旨証言するのであるが、リクルートグループの総括者であったAの立場、Aをはじめとするリクルート及び関連会社幹部と労働省職業安定局長就任当時から労働事務次官当時までのCとの関わり合い、売買手続に際しては、Aの秘書事務を担当していたリクルート社長室次長のBが、事前に電話連絡して用件を伝えて訪問時間を約し、刺を通じて次官室を訪れて売買手続を行っていること等に照らし、これらの証言は、いずれも信用できない。Bは、AがCを譲渡先に選定したことを否定するとともに、Dの指示でCを訪問したかのように原審で証言するが、明らかにAを庇った供述であると認められ、かりにBのC訪問が、直接には上司であったDの指示であったとしても、右供述によってAの関与が否定されるものでないことは明らかである。コスモス株の譲渡先の選定につき、AがDら若干の側近に、ある範囲で委ねていたことは、証拠上窺われるのであるが、就職情報誌の法規制問題というリクルート本体の企業活動の命運を決しかねない事項を所管する労働省の最高幹部に対して、その事情を知悉している側近が、Aの事前の指示、了解なしに、コスモス株の譲渡実行の当否、譲渡株数などを独自に判断して、コスモス株の買取り方を交渉し、譲渡を行って、後日マスコミに取り上げられるまで、Aがこれにつき不知のままでいたなどということは、到底あり得ないことである。

また、Cは、リクルート関係者が知名の士である自分にコスモス株の買取りを頼むのは、箔付けになるからだと考えて引き受けたのであって、値上がり確実とは考えなかったなどと原審で証言するのであるが、社会的地位、名声のある、選ばれた者だけに買取りを勧誘するという趣旨から、リクルート側の意図にそのような一面があったことは否定できないと思われるが、箔付けというからにはある程度の期間保有することになるはずであるところ、遊金を当てるならともかく、年七分の金利を払い九〇〇万円の資金を借り入れてまで行うほどの事柄とも考え難い。しかも、値上がりしたと知ると、購入から約一か月後、店頭公開して一週間のうちに店頭で売却してしまい、七〇〇万円近い差益を上げたというのも機敏な行動で、とても願い出により箔付けに買い取ってつかわした人のすることとは思えない。先に認定した職業安定局長当時から労働事務次官当時までリクルートから受けた饗応接待の状況、また、労働事務次官の現職にあり、並以上の社会常識を備えていたであろう者が、当時の経済情勢のもとで、コスモス株が値上がりして相当な利益が予測されるのを知らなかったとは考え難いことなどの事情に照らして、Cは、申し入れられた本件株式の譲渡が、その職務に関する不法の利益の供与として、Aの意を体して行われることを十分認識した上で譲り受けた、と認めて誤りないというべきである。

3  しかしながら、原判決は、Aらと共謀してコスモス株の購入方をCに勧誘してその承諾を得たのは被告人であるとする公訴事実に対して、種々の理由を挙げて、「被告人が本件勧誘に関与した疑いを完全には払拭できないものの、これを否定する被告人の弁解を排斥し、被告人が本件勧誘をなしたものであると断定するには、なお合理的な疑いが残るというべきである」と判示して、無罪を言い渡した。

そこで、所論にかんがみ、項を改めて、被告人の本件株式譲渡への関与について検討する。

四  被告人の本件株式譲渡への関与について

原判決は、〈1〉被告人から勧誘を受けたのでコスモス株三〇〇〇株の買受けを承諾した旨のCの供述は、賄賂の認識を否認しようとする同人の立場上、親しくしていた被告人から勧誘されたことにするのが好都合であったために、国会でその旨虚偽の証言をしたのを引きずっている疑いがあり、内容にも不自然、不合理な点があって、しかもこれを支持する客観証拠に乏しいこと、〈2〉他方、本件当時、Aと被告人の間には、人事問題についての意見の対立、リクルートグループ内での処遇をめぐる被告人の不満など、根深い確執があって疎遠な状況にあり、労働事務次官に対するコスモス株譲渡の勧誘のごとき機密事項を託し、託される関係にはなかったと考えられること、〈3〉被告人の検察官に対する自白は、執拗な取調べに根負けした虚偽自白の疑いがあること、などを挙げて、被告人が本件株式譲渡に関与したと認めるに十分な証拠がないと判断した。

1  そこで、まず、コスモス株購入の勧誘を受けた状況について、Cの述べるところを検討する。

(一) Cの原審公判供述の大要は、

「〈1〉本件コスモス株買取りの勧誘を受けたのは、コスモス株を売却した時期から一か月前後くらい前、昭和六一年九月三〇日前後ころ、何かの会合であったか、あるいは事務次官室であったか、場所ははっきりしないが、両肘の椅子に座って話したような漠然とした記憶があり、被告人に久しぶりに出会ったという感じであったので、「久しぶりだね、今どうしているの。」と声をかけると、「最近リクルートを辞めまして新しい企画的な仕事を始めているんです。」というような話があり、「ところで、Cさんもご存じのEが社長をしておりますリクルートコスモスというリクルートの子会社がございまして、その会社が、近く株を公開するという予定になっております、これは、マンションなどの建築販売などをする会社なんですが、ついては、現在、その株を各界の知名の方々や、信頼のおける方々に、ぜひお引き受けをお願いしたいということで、お願いに回っております。Cさんもぜひ一つお引受けいただけませんでしょうか、一株三〇〇〇円でお願いをしたい。」などと言うので、「高いな、少しはそれ上がるんかい。」などと聞いたところ、「ええ、上かると思いますよ。」という答であったし、自分も多分上がると思い、「引き受けてもいいけれども、俺も大して金持っているわけじゃないから最小限の一〇〇〇株にしてくれよ。」などと言ったところ、「まあ、そうおっしゃらんで、せめて三〇〇〇株、ぜひお願いします。融資の道もありますから。」と言うので、融資を受けられるならと思い引き受けることにした。

〈2〉被告人が勧誘にきた趣旨は、リクルートの子会社のリクルートコスモスが株を公開することになり、これを知名の方などに引き受けて貰い、株の人気を高め、箔を付けようというようなことで、被告人をはじめリクルート関係者が各界の知名人等に会って頼んでおり、自分にとっては親しい被告人がお願いに来られたという認識であって、今では業者と役人の関係について深く考えて対応すべきであったと厳しく反省しているが、当時は職業安定局長時代の、あるいは労働事務次官の仕事がらみの謝礼という認識は全くなかった。

〈3〉被告人とは以前から顔見知りで、頻繁に会うようになったのは、自分が職業安定局長になってからであって、昭和五九年ころからリクルートの接待で釣り、ゴルフ、飲食を共にするなどして親交を深めており、リクルート関係者の中で一番親しかったので、頼まれれば引き受けてやらねばなるまいという感じもあり承諾したが、相手によりけりだが、勧誘に来たのが被告人でなかったら引き受けなかったと思う。

〈4〉自分も、コスモス株譲渡の件で裁判を受けたが、捜査段階から、その勧誘に来たのは被告人であった記憶であると供述してきている。コスモス株譲渡をめぐる疑惑は、昭和六三年夏以降、新聞等で報道されて問題化したが、自分もコスモス株を譲り受けていたので、率直に言って、被告人がどうしてあんな株を自分に引き受けてくれと言って来たのか非常に残念な思いがした。自分に関わる株譲渡については、全国民営職業紹介事業協会の会長をしていたころの同年一〇月一〇日の夜、協会の有力者の通夜から帰宅すると自宅の前に新聞記者が集っており、そのとき、釣り仲間のリクルート社のOBから是非と言われて引き受けた旨話したが、これは被告人のことを言ったものであり、名前を出せば騒ぎになって迷惑がかかると思い名前は言わなかった。その直後、同協会の専務理事で、元職業安定局業務指導課長として部下であったKに電話をして、騒ぎになっているので、翌日の葬儀には出席できないことを伝えた際、同人に対して、被告人から話があり、実は(コスモス株を)引き受けたと言い、また、妻にも被告人からの話であったと言ってある。そのころ、労働省の秘書課長からコスモス株の譲受けについて事情を聴取されたことがあり、被告人から話があったこと、当時の報道によると、一〇〇〇株譲り受けたことになっていたが、三〇〇〇株を一株三〇〇〇円で譲り受けたことを説明した。そして、同年一一月二一日に衆議院リクルート問題調査特別委員会に証人喚問された際、コスモス株譲渡の話は、被告人から持ち込まれた旨証言して、初めて被告人の名前を公にした。その後、平成元年一月一五日ころ、検察官から初めて在宅で取調べを受けたが、当時の新聞記事に被告人が本件の勧誘をしたことを否定していると出ていたので、自分の思い違いではないかと、懸命に記憶をたどったが、どうも被告人以外の人の顔は思い浮かばなかったので、同検察官に対し、記憶どおりに、本件の勧誘をしたのは被告人である旨供述し、その後の検察官の取調べにおいても、他の人物の可能性はないかと再三確認されたが、被告人が勧誘に来たことに間違いない。

〈5〉被告人から本件勧誘があった数日後、リクルート社長室のBから引き受けていただいた株の手続に伺いたいと電話があり、事務次官室で対応し、何通かの書類に住所、氏名を記入し、押印して、本件株引受の手続をした。

〈6〉大原の釣りにどのような形で誘われたか具体的な記憶はないが、株の勧誘の機会に誘われた可能性もまったく否定はできないという趣旨で、同じ機会に持ちかけられたという内容の検察官に対する供述調書には署名した。」

というのである。

(二) Cの検察官に対する供述調書の内容も、被告人から本件勧誘を受けたことについては、右原審証言とほぼ同旨であるが、〈1〉本件勧誘を受けた日時、場所は、昭和六一年九月中旬ないし下旬ころ、労働省の事務次官室ではなかったかと思う。〈2〉被告人が本件勧誘の話を切り出す際、「Aから言われてきたのですが、」と言ったので、リクルートのAの指示による株の儲け話であると思い、本件勧誘の趣旨が、リクルートへの労働行政上の便宜な取り計らいに対する謝礼等であることを認識していた、〈3〉被告人が本件勧誘の話の後で、大任を果たしてほっとしたという感じで鯛釣り(昭和六一年一〇月二四日、二五日に行われた千葉県大原での釣り-「義之丸の釣り」ともいう。)を誘ってきたので、これを承諾した旨述べている。

(三) Cに対しては、その供述の重要性にかんがみ、当審においても職権で証言を求めたのであるが、同人は、〈1〉コスモス株を勧誘にきたのは被告人であると原審で証言し、今でもそう思っているが、どういう根拠で原判決が違うという結論を出したのか、けげんな思いである、原審裁判官には、Dの可能性もあるように証言したかに受け取られたようだが、証言の趣旨はそうではない、〈2〉捜査段階で、検察官に、被告人から勧誘を受けたと言うと、株の売却直後にDと会い、株で儲かった礼に一席設けた証拠の伝票があるといって、勧誘したのはDであろう、よく思い出せと迫られ、記憶喚起に努めたところ、会話中で自分のことを「おれ」といった記憶が蘇ったので、自分がそのようなくだけたものの言い方をする相手は、リクルート関係者の中で、被告人しかいないと答えると、Dに対してもそのような言い方をする可能性は否定できまいと責められた、そのようなことがあったために、原審で証言したときのような表現になったが、Dが勧誘に来た可能性も幾らかあるという趣旨ではない、〈3〉検察官が指摘した伝票記載のCは、同姓異人であることが後日判明し、自分が株の売却後Dと会ったのではないことが明らかになった、〈4〉被告人から株の勧誘を受けた際に、大原の鯛釣りの話が出たと記憶しているわけではない、そのように自分が述べたように書かれている検察官に対する供述調書は作文であって、被告人がそう言っているよなどという話のなかで作文されたものに署名したまでである、大原の鯛釣りの話がどのようにして決まったかは、今でも思い出せない旨、述べている。

(四) 以上、コスモス株の勧誘者に関し、証拠に現われたCの供述のうち主なものを摘記したが、Cは、昭和六三年一〇月一〇日夜、本件株式譲渡問題の取材に自宅前に押しかけた報道関係者に対して、「釣り仲間のリクルート社のOBから是非と言われて引き受けた」旨述べた後、深夜、Kに、翌日出席予定の葬儀には急遽欠席する旨電話をした際、同人に対し、実はコスモス株を自分も買ったが、被告人が余計なことをしてくれなければよかった旨、被告人から勧められたことをにおわす話をしたことは、Kの原審証言によっても裏付けられ、同年一一月二一日の衆議院リクルート問題特別調査委員会でも、宣誓の上、被告人から勧誘された旨明確に証言しており、当審まで、終始、コスモス株の勧誘者は被告人であったと述べてきているのであって、当審証言の中でも、原判決がその供述を信用しなかったことに、納得しかねる口吻を漏らしているのである。

そこで、勧誘にきた者に関するC供述の信用性について検討する。

(1) 原判決は、Cが、勧誘にきたのは被告人であった旨、一貫して供述していることを認めながら、その虚偽の可能性を指摘する。すなわち、Cは、コスモス株の買取りが問題視された当初から、事実自体は認めて争わず、その趣旨-賄賂性ないしその認識を否認するのであるが、そのためには、リクルート関係者の中で釣りの趣味を共通にし、つき合いも長い被告人から勧誘されたことにするのが最も好都合であったと認められ、このようなCの弁解態度から見て、国会証言中で、勧誘者として被告人を名指したのも、そのための意図的な偽証ではなかったか、そして、その後はこれを翻すこともならず、本件の捜査段階、公判段階でも、当初の虚偽供述を繰り返しているのではないかという疑いを、払拭できないというのである。

(2) Cは、本件コスモス株授受の事実につき、平成元年三月二八日、贈賄側の被告人らと同時に、収賄者として起訴され、賄賂性を争ったが、平成四年三月二四日、第一審の有罪判決を受け、控訴期間の満了により右有罪判決は確定したのであるが、右事実の起訴に先立つ前掲国会証言以来、当審証言まで、賄賂性ないしその認識を否定している。

その言い分は、要するに、共に釣りの趣味を持ち、心安い被告人から、箔付けになるからとコスモス株の買取りを懇請され、他ならぬ被告人の頼みとあれば聞いてやらずばなるまいと侠気を起こして、値上がりなど期待せず、また、賄賂であるなどとは考えもしないで引き受けたというのである。

しかし、Cが、このような弁解をして、賄賂の認識を否定する態度をとったからといって、同人が、真実は他の者から勧誘を受けたのに、自分の弁解を通り易くするために、コスモス株の譲渡話にまったく無関係の被告人を勧誘者として公の場で名指したと疑うについては、それ相当の事由がなければならない。国会に特別に設けられた調査委員会において、議院証言法に基づき宣誓のうえ証言するに際し、賄賂性に関する自分自身の認識内容を偽り、あるいは自分に有利に事実を誇張して表現するなどはともかく、弁解の便宜のために、株の勧誘に関与をしていない者を、その者との事前の談合もないまま(本件において、被告人との間に事前の談合があったことを窺わせる証拠はない。)、敢えて偽って勧誘者と名指して、容易く言い抜けられるものか、その偽証が露見したときにどのような事態が出来するか、また、名指された者に、贈賄の容疑がかけられるだけでなく、刑事訴追のおそれを含め、どのような謂れなき迷惑をかけることになるか、その経歴に徴し、国会で証言することの何たるかを熟知するCが理解していないはずはなく、いかに窮地に立たされたとはいえ、コスモス株買取りの勧誘者が誰であるかを軽々に偽るなどということは、考え難いことであるといわなければならない。

原判決は、Cが、被告人と魚釣りをしたのは昭和五九年一〇月に接待を受けたときが最初で、株の勧誘時まで二年しか経っていないのに、前記国会証言では、被告人とは、「一〇年来の釣り仲間である」と強調し、また、原審証言では、勧誘にきた被告人、譲渡手続に来たBの両名とも、Aの名前を出さなかったと強調したのは、いずれも不自然であるとして、勧誘に来たのが誰かについても偽証の疑いがあるかに判示する。

しかし、原判決が指摘するこれらの虚言は、賄賂性否定の弁解のために、前者は被告人と交際が長く、心安かったことを表現しようとする虚言、後者はAの名を伏せようとする虚言であるのに対して、株の勧誘に来たことのない者を勧誘に来たと積極的に名指す虚偽供述は、無関係の者を巻き込もうとするのであるから、およそ次元を異にする大事である。Cに原判決指摘の虚言があったからといって、そのことからただちに、勧誘の事実のない被告人を勧誘者と偽って名指した疑いもあるとするのは、当を得た判断とはいえない。

また、原判決は、被告人が勧誘に来た旨のC証言の信用性を担保すべき事務次官室の面会記録、次官室ないしその付近で被告人を見かけたという目撃証言、被告人に対する労働省行きのタクシー代支払伝票等の客観証拠が存在しないというのである。

しかし、Cは、原審及び当審において、必ずしも、勧誘に来た被告人と次官室で面談したとは証言せず、むしろ、労働省の庁舎内ではなかった可能性をにおわせており、また、被告人と余人を交えず面談したというのであるから、次官室で面談したことを前提とする原判決の疑問は、そのまま首肯できるものとは言えないし(勧誘した日時とその場所については、後に検討する。)、また、次官室で面談が行われた事実があったとしても、関係証拠から認められる次官室の来訪者管理の情況、リクルート側の資料の散逸の可能性などに照らして、原判決指摘の点は、ただちにC証言の信用性に疑いを抱かせる事象とは言い難い。

更に、原判決は、Cの原審証言中、被告人との面談の際の会話内容に不審の目を向け、〈1〉昭和六一年六月に労働事務次官になって以来、本件コスモス株の買取りの勧誘を受けるまで、被告人と会ったことがなく、次官就任後、このとき初めて被告人と顔を合わせたというが、そうであれば、被告人としては、次官栄進の祝いを述べるのが当然なのに、祝詞をいわれた記憶がないというのはおかしい、〈2〉「久しぶりだね、今どうしているの」と被告人に尋ねると、「最近リクルートを辞めまして、新しい企画的な仕事を始めているんです」と言ったと証言するが、被告人は、同年四月以降、実質的にリクルートの役員から離脱しており、爾来、コスモスライフの代表取締役の職務に専念していたはずであるから、同年九月の面談時にそのような挨拶をしたというのはおかしいし、コスモスライフでの具体的な仕事について話すのが自然なのに、被告人からどのような話があったか証言の中で触れないのはおかしい、また、コスモスライフの業務は、マンションの保守等であって、新しい、企画的な仕事とは縁が薄いから、被告人から「新しい企画的な仕事をしている」と言われたという証言は、内容が不合理である、〈3〉被告人が、「せめて三〇〇〇株何とかお願いしたい」という趣旨の依頼をしたと証言するが、検察官の主張でも、被告人は、Aから譲渡株数を三〇〇〇株と指示されて訪問したもので、株数について裁量権限はなく、分譲用に用意した株数の残りも少なかったから、被告人が「せめて三〇〇〇株」と依頼したというのは、言葉の意味からしてもおかしい、というのである。

しかしながら、Cと被告人の関係を考えるとき、原判決の指摘するこのような懸念は、いずれも当を得ないというべきである。すなわち、

〈1〉につき、被告人は、これまで、リクルートの一社員として労働省幹部のCに接して来たのであって、そのリクルートは、Cの事務次官栄進に際して、祝賀の宴をはり、祝いの品を贈って抜かりなく祝意を表しているのであるから、リクルートのAの意を体した被告人が、指示された用務を帯びて、次官に就任後のCに初めて会ったからといって、就任から三か月も経って、今更、個人として賀詞を述べたとは限らないし、また、述べなくとも、何ら礼を失することにはならない。

〈2〉につき、Cは、被告人がリクルートの社員として、労働省の就職情報誌に対する施策、意向の打診、その他労働省の動向に関する情報の収集、Cを含む労働省幹部職員の接待の設営などの用務で出入りするうち、これと親しく口をきくようになったもので、あくまでも、求人求職問題を所管する労働省の幹部と就職情報誌業者の一社員という間柄であり、互いに釣り好きで、共通の話題を持つとはいっても、それ以上に、個人的な交際関係に進展していたわけではないのであるから、リクルートグループ内における被告人個人の所属部門、処遇などに、特段の関心があったとは考え難い。したがって、「今どうしているか」という問いも一種の社交辞令-あいさつであり、被告人も心得て、これに社交辞令をもって答えたまでであろう。コスモスライフでの仕事の話をするのが自然なのに、Cが証言でその点に触れないのはおかしいとか、新しい企画的な仕事をしているはずがないのに、新しい企画的仕事をしていると被告人が答えたというのはおかしいなどと疑問を抱くこと自体、見当違いというほかはない。被告人としては、Cのあいさつとしての問いに対して、当たり障りのない適当な答えを返してあいさつを切り上げ、Aから指示された用件に入ったまでであって、リクルートコスモスの分譲マンションの保守、清掃をする会社にいるなどと、真っ正直に返答する必要などなかったし、また、しなかったからといって、何ら不都合とはいえない。

〈3〉についても、本件コスモス株三〇〇〇株の買取りの勧誘は、Aに指示されたもので、被告人に裁量の余地はなく、また、分譲用の残余株数も少なかったから、客観的にも譲渡株数の割増は困難な状況であったことは、原判決指摘のとおりであるが、賄賂を贈る側としては、そのような事情はおくびにも出さず、また、儲かることの確実な株を融資付きで譲渡しようとしているのに、ひたすらへり下って、(大量にとは申しませんが)せめて三〇〇〇株でも、何とか引き受けてはいただけますまいかなどと申し出ることは、これまた社交辞令として常用の修辞・話法であって、決して不自然なことではない。

また、原判決は、Cの供述と一貫しているかに見えるが、実は動揺しており、不自然、不合理であるとして、〈1〉原審証言では、検察官の主尋問に対して、勧誘者は被告人であると断定的に答えながら、弁護人の反対尋問には、Dの可能性も一、二割ある趣旨に答えるなど、動揺していること、〈2〉勧誘を受けた場所についても、捜査段階では、次官室であったと思うと述べ、原審では、場所ははっきりしないとしながら、次官室にはない両肘の付いた椅子に座って話した記憶である旨、事務次官室であることを否定する供述に変化しているが、他方、二年前に被告人から一〇〇万円の餞別を受け取った場所や、被告人の勧誘を受けてから二、三日後に譲渡手続に訪れたというBに対応した場所については、明確に記憶しているのであって、被告人から勧誘を受けたという場所の記憶があいまいな理由を合理的に説明できないこと、〈3〉被告人の株の勧誘と義之丸の釣りとの関係につき、捜査段階では、株の勧誘話が一段落した後に鯛釣りに誘われたというが、原審では、株の勧誘の際に釣りの誘いがあったか記憶にない、義之丸の釣りの誘いが誰からあったか記憶にないと言っていること、〈4〉義之丸の釣り行きの国鉄特急券の手配が九月二七日になされているから、Cの検察官に対する供述調書のとおり、株の勧誘と釣りの誘いが同一機会になされたとすると、株の勧誘は右切符の手配より前に行われたことになるが、これでは、本件株の譲渡が一連のコスモス株分譲の中でも最終段階になされたという客観的事実と相違してしまい疑問であること、などの事由をあげる。

検討するに、

〈1〉につき、Cが、原審で、勧誘者が、Dである可能性も幾らかあるという趣旨の証言をしたかに受けとられた点については、Cの証言調書を検討しても、供述に動揺があるとは認め難いばかりでなく、Cが当審で証言して、改めてその趣旨を釈明するとともに、勧誘者は被告人であり、Dではなかったことを明言しており、その内容に不審の廉は見い出せない。

〈2〉につき、Cは、被告人からコスモス株の譲受の勧誘を受けた場所について、当審においても、原審におけると同旨の証言をしており、これによれば、場所は労働省庁舎内ではなく、Cの出先で落ち合うなど、他所であったかもしれないということになり、被告人が完全否認しているうえ、他に勧誘の行われた場所を裏付ける証拠のない本件において、これを確定するには、困難が伴うといわざるを得ない。原判決は、Cが、二年前に被告人からリクルートの餞別を受け取った場所、被告人から株の勧誘を受けた数日後に手続に訪れたというBと応対した場所については、いずれも記憶しているのに、被告人から勧誘を受けた場所の記憶があいまいなのは、おかしいというが、前二者は、金包みの受領、書類の作成という、いずれも具体的な行為を伴ったもので、行われた場所との結びつきで記憶に残り易いと考えられるのに対し、本件の株の勧誘は、口頭により行われたのであるから、誰から話を持ちかけられたかは記憶しているが、その場所については覚えていないということは、あり勝ちなことで、決して不自然とはいえない。

〈3〉につき、Cは、当審においても、株の勧誘と義之丸の釣りの誘いの関係について、両者が同じ機会になされたかどうか、記憶が定かでなく、検察官に取調べを受けた段階でもはっきりしなかったが、被告人がそう言っているなどといわれて、その旨の供述調書に署名することになったと証言する。Cは、株の勧誘を受けた事実、義之丸の釣りに誘われて参加した事実については、いずれも当初から認めて争わないのであるから、同人が、これが同一機会の出来事であったか、あるいはまた、機会を改めて誘いを受けたものかについてこだわり、殊更言いつくろい、隠し立てをすべき理由も見い出し難い。そうであるとすると、右の点に関する当審証言は信用するに足り、Cの説明が一貫していないという原判決の指摘は、当たらないというべきである。

〈4〉についても、右〈3〉で見たように、釣りの誘いが、被告人による株の勧誘と同一機会に行われたか否かについてのCの記憶は、捜査段階からあいまいであったと認められるのであって、同人の検察官に対する供述調書の内容が客観的事実と相容れないという原判決の指摘は、直ちにC供述の動揺、不一致、延いてはその信用性に影響することを示すものとは言い難い。

以上、コスモス株の勧誘者に関するC供述の信用性について、原判決が疑問とする点を中心に、逐一検討を加えたのであるが、その指摘はいずれも正鵠を射たものとは言い難く、昭和六一年九月末ころ、被告人からコスモス株を買うよう勧誘を受け応諾した旨のC供述は十分信用するに足り、少なくともCの周辺において、これを疑うべき事跡を見い出すことはできない。

2  次に、Cに対する本件コスモス株の譲渡が贈賄行為であり、これが、リクルートのAの首謀により行われたことは、原判決が正しく認定するとおりであって、このことは既に検討したところであるが、原判決は、被告人から勧誘されたとするC供述の信用性を疑問視するとともに、当時、本件の主謀者Aと被告人との間には深刻な確執があって、疎遠になっていたから、Aが被告人に指示して本件のような機密事項に関与させるはずはなく、また、被告人の側でも、Aの指示に従うはずはなかったというので、その点について検討する。

(一) 関係証拠によれば、昭和六〇年以降のAと被告人との関係について、およそ以下の事情が認められる。

被告人は、昭和五九年一〇月、リクルートの社長室長を本務とし、ビル事業部長、広報室長を併任していたが、同年末、当時の総務部の特定幹部につき金銭上の不祥事疑惑が生じ、上司から命ぜられて被告人が調査に当たり、厳しい処分を上申したところ、結局、Aの意向も働いて、被告人の意見は役員会の容れるところとならず、翌六〇年春ころには、被告人は、Aをはじめリクルート幹部のなかで、孤立した状況に置かれた。Aは、被告人を社長室長には不向きと認めて、同年七月、社長室長兼広報室長の任を解き、後任は、Dが引き継ぎ、被告人は、事業部長に戻り、同年八月、Dと同時に、リクルートの取締役に選任され、事業部、ビル事業部担当の役員になったが、同年一〇月、そのままコスモスライフの代表取締役に就いた。昭和六一年三月ころ、リクルートが就職情報誌業者の団体の配本時期協定に違反して、配本を行ったことから同業他社の厳しい非難を浴び、同業者団体に対して代表取締役Aの謝罪文を提出する事態に陥ったが(フライング問題)、社内の責任問題については、Aから被告人が叱責され、役員会でも、早期配本を主張した広告事業部の長は不問に付されて事業部長の被告人に帰責されたと受け取った被告人は、先の総務部幹部の不祥事の解決方法と併せて、今回の処置に憤懣やるかたなく、専務取締役に退職願を提出したが慰留されて、コスモスライフの職務は続けることにしたが、四月以降リクルートへは出社しなくなり、同年八月、正式にリクルートの取締役退任の登記が行われた。その夏ころ、Aは、各役員の保有するリクルート株の一部を供出させて、リクルートからリクルートコスモスに移籍した社員に持たせようと思い付き、他の役員らはこれに応じたが、被告人は、Aからリクルートの社長室に呼ばれても、ただ独り拒否した。しかし、その後数回の話合いで、被告人がリクルート社員の持株会名義で保有する株と被告人手持の株の両方を話合いの対象にして、妥協ができたつもりでいたところ、双方の思惑に齟齬があったことから交渉は物別れに終わり、しばらくそのまま経過した同年一二月暮れのリクルート社長室での話合いで交渉は決裂し、口論となり、興奮したAから、リクルートグループを離れたらいいじゃないかと突き放されて、被告人は唖然としたが、このうえは、リクルートグループとの決別もやむを得ないと辞意を固め、翌六二年四月にコスモスライフを正式退社し、リクルートグループから離れた。そして、同月二〇日ころ、弁護士を通じて、被告人がリクルート社員持株会名義で保有するリクルート株約五万一〇〇〇株の引渡要求を内容証明郵便でリクルートに送りつけ、訴訟をも辞さぬ構えを見せたため、同年五月下旬ころ、Aが折れて詫びを入れ、被告人の要求を実質上すべて受け入れて決着した。

(二) 本件コスモス株の勧誘とこれに引き続く譲渡は、このような経緯の中で、昭和六一年九月末ころ行われたものであるが、被告人は、前年七月に社長室長を更迭され、後をDに譲り、その後、昭和六一年八月にはリクルートの取締役を辞任して、二〇年以上在籍したリクルートを離れたことは、先に見たとおりであり、以来コスモスライフの代表取締役の業務に専念する立場にあったのであるから、本来、Aの指示でCに本件株の勧誘に赴くのは、当時の社長室長であったDら側近の者にふさわしい任務であったということができ、現に、そのころ行われた一連のコスモス株の分譲に際して、Dらが勧誘に当たった先も少なくなかったのである。その意味で、本件Cに対する譲渡についても、捜査初期の段階では、勧誘者はDではなかったかと疑われ、Cも、検察官からこの点につき厳しく追及された事情が窺われるが、Dの職掌上、このように疑われたのも、ある意味では、やむを得ないことであったといえる。

原判決は、このような状況の下で、本件勧誘が行われたという同年九月ころには、被告人とAとの間柄は、根深い確執があって疎遠であり、本件のような機密に属する事柄を託し、託される信頼関係は失われていたというのであるが、このような判断は、一見、当たっているかに考えられないではない。

(三) しかしながら、昭和三八年に、リクルートの前身で創業四年目、社員数僅か二、三十名の会社の大阪の営業所に被告人が学生アルバイトとして就職して以来の、社長Aと被告人との関係を見るとき、それから二十数年経って、両者に人事問題上の意見の対立、フライング問題に絡む処遇上の不満などから確執が生じ、一旦関係が冷えたからといって、一気に離反して終わるような、単純で浅い絆であったとは、到底考え難い。

被告人には、リクルートの揺籃期から、Aの知遇を得て社務に尽瘁し、Aに協力してこれを育て上げたという、強い自負があったであろうことが察せられるのであって、関係証拠によれば、被告人は、退職願を提出して事実上リクルートの社務から離れたという昭和六一年四月以降も、出社はしなかったにしても、古巣であるリクルート事業部の元の部下らとは連絡を取り合い、同年五月リクルートがCを接待した千倉の海釣りには参加し、リクルートの事業部長、社長室長当時に培った大学の就職部の関係者、労働省関係者、政治家の秘書などの交際先を相当回数訪問し、また接待し、その費用の伝票は、リクルートへ回して決済を受けていたのであり、このことは、被告人がリクルートのポストを離れてからも、側面からリクルートの事業のために活動していたことを示すと同時に、リクルート側でも、被告人の人脈を利用していたことを意味するといって誤りない。また、Aにとっても、創業間もなくの若いころから労苦を分かち合った数少ない古参社員である被告人は、他の社員とは異なる一種独特の存在であったであろうことは、察するに難くない。

Aが、このような被告人をリクルートグループの中枢から外し、その保有する大量のリクルート株を会社に戻させようとして抵抗に遭い交渉が頓挫し、膠着状況にあった同年九月の時期に、被告人を呼んで、懇ろに本件コスモス株譲渡につきCの勧誘方を頼み込み、崩れかけた信頼関係の修復を図って局面を打開しようと試み、他方、被告人も、AがCの勧誘を後任の社長室長であるDなどには指示せず、離反しかかっている自分を呼んで託そうとするのは、自分がこれまで培ってきた労働省幹部との関係を評価し、余人をもって代え難いと考えたことによるものと自負して、懇請を容れてCを訪ねて勧誘し、承諾を取り付け、その結果を復命したということは、決してあり得ないことではなく、Aとの関係が冷えていたから、被告人が本件勧誘を頼まれるはずがないなどと決めてかかるのは、いささか素朴に過ぎ、当を得た判断とは言い難い。

このような次第で、彼此考量すると、被告人から勧誘を受けて応諾した旨のC供述は、十分信用するに足り、被告人は、Aから指示されて、本件コスモス株の譲渡についてCを勧誘したことは明らかである。これに反する被告人の供述は、信用できない。

五  被告人の賄賂性の認識とその役割

次に、本件コスモス株譲渡について被告人の賄賂性の認識、本件関与の態様について検討する。

先に認定した被告人のリクルートにおける事業部長、社長室長等の経歴、労働省幹部に対するリクルートの接待饗応に関与した経験、Cの原審証言に明らかな、被告人のCに対する勧誘文言の内容等から、被告人が、本件当時、本件コスモス株が一般には入手困難であり、しかも、これが約一か月後に店頭登録されると、提供価格一株三〇〇〇円をはるかに上回る店頭値が付くことが確実視されること、AがこれをCに譲渡するのは、リクルートをはじめリクルートグループの就職情報誌等の発行について、労働省幹部のCから受けた好意的取り計らいに酬いる趣旨と、将来においてもこれまで同様便宜な取り計らいを願いたいという趣旨で行われることを、了解したうえで、Aと共謀し、また、Aを介して当時の社長室次長のBと共謀して、Cに対し、本件コスモス株三〇〇〇株を譲り受けるよう勧誘し、Cの承諾を取り付け、前記Bの訪問、Cに対するコスモス株供与に繋げたもので、本件贈賄に重要な役割を果たしたものと認められる。

六  本件の勧誘、譲渡書類の作成、供与成立の各時期等

被告人のCに対する本件勧誘の日時、場所については、被告人が完全に事実を否認し、Cの記憶も定かでなく、他にこれを明確にする証拠が見い出せないので、詳しい特定は困難である。

当時、リクルートの取締役財務部長兼経理部長で、部外者に対する一連のコスモス株の分譲手続に当たったTの原審証言など関係証拠によれば、分譲手続は、当初、昭和六一年九月中に済ませる予定であったが、結局、予定どおりに手続が運ばずに一〇月になったものも出たこと、分譲用に他社から買い戻して用意したコスモス株の中からCへ三〇〇〇株を割り付けたのは、一連の分譲の中でも終わりのころであったことなどの事実が認められ、また、Cの原審証言によると、同人が本件コスモス株を店頭で売却した昭和六一年一一月五日を基準として、その一か月くらい前に被告人からその譲受の勧誘を受けて応諾し、その応諾後数日のうちにBが次官室に訪ねてきて、株の売買手続と融資手続を行った記憶であるというのであるから、これらの事情を総合すると、被告人によりCの勧誘が行われたのは、およそ同年九月末ころであったと認められる。

したがって、被告人の勧誘結果を受けて、BがCを次官室に訪ね、同所においてCとの間で株式売買約定書、ファーストファイナンスとの金銭消費貸借契約書等を作成した日時は、必ずしも九月中とは言い切れず、同年一〇月にいくらかずれ込んでいた可能性もあると認められる(Tの原審証言などによれば、前記の売買約定書、金銭消費貸借契約書に記載された昭和六一年九月三〇日の日付は、売主側の都合で記入されたもので、必ずしもその日にこれらの書類が作成されたことを意味しない。)。

他方、関係証拠によれば、Cに割り当てた三〇〇〇株について、売買代金相当額の九〇〇万円が、同年九月三〇日に、金融会社ファーストファイナンスから、売主とされるドゥ・ベスト、ビッグウェイ両社の各銀行口座に、それぞれ払い込まれたのであるが(ドゥ・ベストの一〇〇〇株に対して三〇〇万円、ビッグウェイの二〇〇〇株に対して六〇〇万円)、もし、Bが持参した、既に売主側の記名押印のある株式売買約定書にCが署名押印して右約定書が完成し、また、ファーストファイナンスとの金銭消費貸借契約書が作成されたのが、右払込みの以前であれば、Cは右払込みによって本件コスモス株三〇〇〇株を取得し、被告人らの賄賂供与もその時点で完成したことになるが、これと異なり、右売買約定書と金銭消費貸借契約書が作成されたのが、九月三〇日の右払込みの後であれば、これら書類の完成時に、Cは右三〇〇〇株を取得し、被告人らの賄賂供与もこの時成立したということになる。

これらの事情を踏まえて検討すると、本件コスモス株三〇〇〇株の供与は、昭和六一年九月末ころ(九月終わりころから一〇月初めの間)に行われたと認めるのが相当である。

なお、勧誘の行われた場所については、Cの記憶から、必ずしも次官室ではなく、予め約束して、Cが都内での会合に出席した機会に落ち合い、たとえばホテルの喫茶室などであった可能性もなくはないと認められ、その余の関係証拠を検討しても、それ以上つまびらかにすることはできないといわざるを得ない。

七  結論

以上検討の結果、被告人が、A、Bと共謀のうえ、Cに対して、その職務に関し、約一か月後の店頭公開時には、提供価格一株当たり三〇〇〇円より大幅な値上がりが確実視される、一般には取得困難なコスモス株三〇〇〇株を右価格で譲渡し、贈賄の行為を行ったことは、明らかであると認められる。

したがって、被告人の関与を認めるに足る十分な証拠がないとした原判決は、証拠の評価を誤って事実を誤認したものであり、これが判決に影響を及ぼすことは明らかであるから、論旨は理由があり、原判決は破棄を免れない。

第三  そこで、刑事訴訟法三九七条一項、三八二条により原判決を破棄し、直ちに判決するのが相当と認め、同法四〇〇条但書により、被告事件について次のとおり判決する。

(罪となるべき事実)

被告人は、株式会社コスモスライフの代表取締役をしていたものであり、Cは、昭和五八年七月八日から昭和六〇年六月二五日までの間、労働省職業安定局長として、雇用に関する政策の企画、職業の紹介及び指導、その他労務需給の調整、労働者の募集、職業安定法の施行等に関する同局の事務全般を統括する職務に従事し、その後、同月二六日から昭和六一年六月一五日までの間、同省労政局長であり、更に同月一六日から昭和六二年九月二九日までの間、労働事務次官として、労働大臣を助け、省務を整理し、同省各部局等の事務を監督する等の職務に従事していたものであるが、被告人は、就職情報誌の製作、販売等の事業を営む株式会社リクルートの代表取締役をしていたA及び同社の社長室次長兼秘書課長をしていたBと共謀の上、被告人において、昭和六一年九月末ころ、Cに対し、リクルート等が行っている就職情報誌の発行等に対して職業安定法を改正して法規制する問題及び行政指導等につき、好意的な取り計らいを受けたことなどに対する謝礼、並びにこの上とも同様の取り計らいを願いたいという趣旨のもとに、同年一〇月三〇日に社団法人日本証券業協会に店頭売買有価証券として店頭登録されることが予定されており、右登録による公開時には、確実に値上がりすることが見込まれ、Aらと特別の関係にある者以外の一般人が入手することが極めて困難である株式会社リクルートコスモスの株式三〇〇〇株を、右公開時に見込まれる価格より明らかに低廉な一株当たり三〇〇〇円で譲渡したいので応じてほしいと申し入れた上で、右申入れの数日後、Bにおいて、東京都千代田区霞が関一丁目二番二号所在労働省庁舎内の労働事務次官室で、Cとの間で右株式譲渡の手続きを行い、そのころCに右株式三〇〇〇株を取得させ、もって、Cの前記職務に関して賄賂を供与したものである。

(証拠の標目)〈省略〉

(法令の適用)

被告人の判示行為は、行為時においては、平成七年法律第九一号による改正前の刑法六〇条、平成三年法律第三一号による改正前の刑法一九八条(一九七条一項前段)、同改正前の罰金等臨時措置法三条一項一号に、裁判時においては、平成七年法律第九一号付則二条一項本文により同法による改正前の刑法六〇条、一九八条(一九七条一項前段)に該当するが、右は犯罪後の法令により刑の変更があったときに当たるから、同法六条、一〇条により軽い行為時法の刑によることとし、所定刑中懲役刑を選択し、その所定刑期の範囲内で被告人を主文掲記の刑に処し、情状により同改正前の同法二五条一項を適用してこの裁判確定の日から主文掲記の期間、右刑の執行を猶予する。訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項本文により、主文掲記のとおり、その一部を被告人に負担させる。

(量刑の理由)

これまで検討したところから明らかなように、本件は、リクルートグループ傘下の会社の代表取締役として、あるいはオーナー株主として、その業務全般を統括していたAが、コスモス株の店頭登録に先立ち、公開後は値上がりが確実視されており、リクルート関係者以外には入手が困難な同株式約四〇万株を用意し、各界の士など約六〇名の部外者に約一か月余の期間に分譲した、株のばらまきの一環として行われたものである。Aは、労働省職業安定局長から労政局長を経て、本件当時労働事務次官であったCに対して、かねてより、頻繁に、ゴルフ、魚釣りの接待、その他の供応接待をしていたが、右コスモス株の大規模な分譲の機会に、リクルートの就職情報誌発行等の事業に関して、職務上、好意的取り計らいをしてくれた謝礼と、今後とも労働事務次官として、これまで同様、好意ある取り計らいを願いたいという趣旨のもとに、公開時に付くと予測される値より明らかに低廉な、一株当たり三〇〇〇円でコスモス株三〇〇〇株を同人に譲渡し、賄賂を供与したもので、融資の途を用意したうえこのような株を低廉に譲渡することは、現金供与にも等しい所為であり、現に、Cは、店頭登録後、コスモス株が予期どおり値をあげたのを見て、購入して一か月で利食い売りして、七〇〇万円近い差益を上げたのであるが、右供与に当たり、被告人は、Aの指示を受けて、Cを訪ね、言葉巧みに譲渡を受けるように同人を勧誘して応諾するように仕向け、Aを介して社長室次長のBに譲渡手続を取らせて、右株式の供与を成就させたものである。

このような本件を首謀したA及びこれに軽々に応じたCの刑事責任の重大なことはもとよりであるが、リクルート在職当時、Aのもとで、相当期間、Cをはじめ労働省幹部に接待供応を重ねた末、規範意識の鈍磨したCに対する本件贈賄に加担し、重要な役割を果たした被告人の刑事責任も軽視することは許されないのであって、懲役刑に処せらるべきは当然である。しかしながら、本件当時、被告人は、Aの言動に信頼が薄らぎ、反発して側近から遠ざけられ、当時は、本件の勧誘などに用いられる立場にはなかったところ、Aの思惑から、同人に懇請されてCの勧誘に当たったものと窺われ、追従的な立場にあったと認められること、これまでまじめに勤務してきたもので、本件まで、社会人として指弾されるような点は特に見当たらないことなど、被告人のために酌むべき事情もあり、その刑の執行を猶予するのが相当と認め、主文のとおり量刑する。

よって主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 高木俊夫 裁判官 岡村稔 裁判官 長谷川憲一)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
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